AIコーディングエージェントに作業を任せる利点は、人がその場に張り付く必要がないことです。しかし実際に席を離れると、すぐに別の問題が起きます。エージェントが質問を投げたまま止まると、戻ってくるまで作業全体が止まってしまいます。結局、ノートPCの前を離れられないという逆説が生まれます。
Orcaは、この問題をモバイルコンパニオンアプリで解決してきたADE(Agent Development Environment、エージェント開発環境)です。ただし、これまでのモバイルアプリには2つの壁がありました。デスクトップとのような同じネットワークに接続していなければつながらず、スマートフォンの画面でターミナルをそのままミラーリングして見る必要があったことです。2026年7月時点で、この2つの壁はどちらも崩れつつあります。異なるネットワークからも接続できるRelayと、ターミナルの代わりにネイティブチャットでエージェントと会話できるChat UIが導入されたためです。
この記事では、2つの機能がそれぞれ何を解決するのか、そして組み合わせたときモバイルでのエージェント運用が実際にどう変わるのかを見ていきます。Orcaを初めて知る方は、先に「Orcaとは?複数のAIコーディングエージェントを1か所で運用するADE」を読むことをおすすめします。
モバイルコンパニオンはもともと何をしてくれたのか
Orcaモバイルアプリ(iOS・Android)は、デスクトップOrcaとペアリングして使うリモコン型アプリです。実行中のworktreeとエージェントの状態を一覧で確認し、エージェントが作業を終えたり入力を待ったりするとプッシュ通知を受け取り、ターミナルの内容を確認して追加プロンプトを送れます。ファイルツリーの閲覧、diffの確認とコミット、写真の添付、音声入力にも対応しており、「確認して指示する」用途ならすでに十分実用的でした。
問題は接続方式でした。ペアリングがローカルネットワークを前提としていたため、デスクトップとスマートフォンが同じWi-Fiに接続しているか、TailscaleのようなVPN(Virtual Private Network、仮想プライベートネットワーク)で同じネットワークのように接続されている必要がありました。家のソファでは快適に使えても、モバイルアプリが最も必要になる「外出中」には、自分でVPNを構成しない限り接続手段がありませんでした。
Relay:別のネットワークからでもデスクトップにつながる
Relayはこの接続問題を解決する機能です。スマートフォンとデスクトップが異なるネットワークにいる場合、Orcaの開発元であるStably AIが運用する中継サーバーを経由して接続を維持します。カフェのWi-Fiでも移動中のLTEでも、デスクトップの電源が入りインターネットに接続されていれば、スマートフォンからセッションにアクセスできます。
構成を図にすると、次のようになります。
設計上、注目したい点は3つあります。
1つ目は、**既存のローカルペアリングがデフォルトの経路として維持されていることです。**同じネットワークにいれば、これまでどおりアカウントなしで直接接続でき、Relayは直接接続できない場合の追加経路になります。Relayの利用にはデスクトップ側でOrcaアカウントへのログインが必要ですが、スマートフォンではログイン不要です。中継自体は無料です。
2つ目は、**エンドツーエンド暗号化(E2EE、End-to-End Encryption)を前提に設計されていることです。**スマートフォンとデスクトップが暗号化キーを相互に確認してから通信するため、中継サーバーはトラフィックを転送するだけで、ターミナルの内容やコードを覗けない構造になっています。導入PRのセキュリティ監査項目には、ペアリング検証、リプレイ攻撃対策、トークンの範囲制限などが詳しく記録されており、リモート接続機能を会社のコードに使えるか検討する際の参考になります。
3つ目は、**接続を開始する側がデスクトップであることです。**デスクトップが中継サーバーへの外向き接続を先に開く方式なので、ルーターの背後にある自宅のデスクトップにポートフォワーディングやファイアウォール設定を行う必要がありません。ローカルマシンだけでなく、WSL(Windows Subsystem for Linux)やSSHで接続したリモートworktree環境でも同じように動作します。
Chat UI:ターミナルをスマートフォンに押し込まない
接続できたら、次の問題は画面です。従来のモバイルアプリはデスクトップのターミナル画面をスマートフォンにそのままミラーリングしていました。どんな画面だったかを見ると理解しやすいでしょう。
読むことはできます。しかしTUI(Text-based User Interface、ターミナルテキストベースのインターフェース)は、もともと広いモニターとキーボードを前提に設計された画面です。スマートフォンでは文字が小さく、長い出力をスクロールで追う必要があり、エージェントが提示した選択肢に答えるには矢印キーを模したボタンを押さなければなりません。状態を少し確認するには十分でも、「スマートフォンでエージェントと仕事をする」と呼ぶには難しい体験でした。
Chat UIはこの部分を再設計しました。ターミナル画面をピクセル単位で移すのではなく、エージェントが残すtranscriptを読み取り、**メッセンジャーのようなネイティブチャット画面として再描画します。**初期ベータではnative chatという名前でしたが、現在のChat UIに整理されました。変わる点は次のとおりです。
- エージェントの回答はチャットの吹き出しとしてストリーミングされ、ツール呼び出しや実行ログなどの中間過程は折りたたんだ状態で整理されます。
- エージェントが選択肢を尋ねると(例:Claude CodeのAskUserQuestion)、ターミナルのメニューの代わりに、タップして回答するカードが表示されます。権限の承認リクエストもカードで表示されます。
- 入力欄からメッセージを送ると、デスクトップのエージェントターミナルにそのまま渡されます。画像の添付やモデルと推論の強度の変更もチャット画面内で可能です。スキルを選んで実行するピッカーはデスクトップのChat UIに先に追加され、モバイルへの展開が進んでいます。
- 1タップで従来のターミナル画面とチャット画面を切り替えられるため、詳細なログを確認したいときはいつでもターミナルに戻れます。
興味深いのは、Chat UIがモバイル専用ではないことです。同じチャット画面がデスクトップとWebクライアントにも搭載され、どこから見てもエージェントとの会話が同じ形で続きます。Claude CodeやCodexのように会話記録の形式が把握されているエージェントから対応しており、現在はTestFlightとAndroid APKチャンネルでベータ利用できます。
2つの機能を組み合わせるとワークフローはこう変わる
RelayとChat UIは単体で見ると、それぞれ「接続の改善」と「画面の改善」です。しかし組み合わせると、1つのストーリーになります。仕事帰りのシナリオで見てみましょう。
- 退勤前に、2件のリファクタリングと1件のバグ修正を、それぞれ別のworktreeにいるエージェントへ任せておきます。
- 地下鉄でプッシュ通知が届きます。バグ修正エージェントが「テストを変更してよいか」と尋ねたまま止まっています。
- スマートフォンを開くとRelayがデスクトップのセッションに接続し、Chat UIに質問カードが表示されています。選択肢をタップして答えると、エージェントが再び動き始めます。
- 到着前に、リファクタリングの1件が完了したという通知が届きます。diffを確認し、気になる部分について追加プロンプトを送ります。
- 帰宅すると3つの作業がすべてレビュー可能な状態になっており、デスクトップで最終レビューとコミットを行うだけです。
エージェントが停止して待つ時間が、「人が席に戻るまで」から「人がスマートフォンを取り出すまで」に短くなる。これが2つの機能が一緒に生み出す変化です。
使う前に知っておきたいこと
- **モバイルアプリは今もコンパニオンです。**セッションはデスクトップ(またはデスクトップが管理するリモートマシン)で動くため、デスクトップアプリを終了すると接続も切れます。スマートフォン単体でエージェントを動かすクラウドサービスではありません。
- **Relayにはデスクトップでのログインが必要です。**アカウントなしで使いたい場合は、従来どおり同じネットワークで直接ペアリングするか、TailscaleのようなVPNを自分で構成する方法が残っています。
- **2つの機能はどちらも段階的にロールアウト中です。**Chat UIはTestFlight(iOS)・APK(Android)チャンネルに先行して提供されるベータ版で、Relayも最近のリリースに順次反映されている段階です。そのため公式モバイルドキュメントには、まだローカルペアリングを前提とした説明が残っています。リリースノートを見ると、メッセージ配信状態の表示、会話順の並べ替え、Relayの再接続などが活発に改善されており、細かな動作はバージョンによって変わる可能性があります。
- **エージェントの互換性は確認が必要です。**Chat UIはエージェントの会話記録を解釈して描画する方式なので、ターミナルミラーリングとは異なり、エージェントごとに対応レベルが異なる可能性があります。
まとめ
Orcaのモバイルアプリはこれまで、「あれば便利な補助画面」に近い存在でした。Relayが場所の制約を取り除き、Chat UIが画面の制約を取り除いたことで、今では「エージェント運用の半分をスマートフォンに移せるツール」に近づいています。複数のエージェントを並列で動かすほど、人の応答遅延が全体のスループットを左右します。その遅延を減らす最も現実的な方法がポケットの中のスマートフォンであるという意味で、方向性のよいアップデートだと思います。
並列エージェントの運用自体に興味があるなら、「Orcaとは?複数のAIコーディングエージェントを1か所で運用するADE」と「AIエージェント用並列ターミナル6種比較」もあわせてお読みください。

